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私が死んだら泣いてくれる?

2014.09.03 Wed
近所の喫茶店の看板犬がもうすぐ16歳になるらしい。
私が住んでる区では16歳になった犬は表彰されるらしい。
犬の16歳はかなりの高齢。
元気で16歳まで生きてるならそれでいいけど、その犬は内蔵の
病気で死にかけ、今も点滴を受けに定期的に病院に通ってるらしい。
私もその子が死んでしまうのは悲しいし、飼い主はもっと悲しい。

私も過去16歳の犬の死を家族で看取った。大人になって泣いたことがなかった
弟が号泣して私もしばらくはそのことを思い出してめそめそしていた。
今みたいに医療が発達していたらもしかしたら、延命のための治療をしていたかもしれない。

でもそれは飼い主のエゴであって、犬はどう思っているのだろうか?
そこまでして生きたいと思っているのか、それとももう死なせて欲しい
と思っているのか?
それはニンゲンにも言えることで、ただ心臓が動いてる状態を『生きている』
と言えるのか?
私の母方の祖母は脳梗塞で倒れて植物人間みたいな状態を半年続けて死んだ。
延命措置は一度始めてしまうと本人が死ぬまで止められない。
動くものに反応して目だけ動かしてる祖母は『認識』してるように見えたけど
医者には『本人はわかっていませんよ』と言われた。
父方の祖母も延命措置を受け、認知症になり誰かもわからないまま何年も
病院で過ごして死んだ。父が延命措置を望んだから辛い死に方を父方の祖母はした。
母方の祖母も同じ。本人はそれを認識していなくても辛い生だったに違いない。

15年前に母が脳梗塞で倒れた。症状は軽かったので半身麻痺はのこったものの、
日常的な生活は支障なくこなしてる。母は自分の母親と義母の最期を見ているので、
「今度私が倒れたら、延命措置だけはしないで死なせてくれ」と言っている。
私も『ただ心臓が動いているだけの』祖母を見ているので、そうしてやりたいけど、
その直面に自分が立ち会った時、果たして私は『死なせてやる』事ができるのだろうか?

いつかヒトは死を超越する事が出来ることができるかもしれない。
しかしそれは、『生き物』として幸せな事なのであろうか?

死んで泣いてくれる誰かが居る方が、幸せなのではないだろうか?

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